クロムハーツの知識

【保存版】クロムハーツの歴史を現役バイヤーが10分で完全解説!

【保存版】クロムハーツの歴史を現役バイヤーが10分で完全解説!

今日は数々の海外セレブやアーティストが愛用するキングオブアクセサリーブランド「クロムハーツ」の歴史について現役バイヤーが解説しちゃいます!

1960年代

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後のクロムハーツ創業者であるリチャード・エリック・スターク(Richard Eric Stark)は1960年5月19日に、アメリカはニューヨーク州ユーティカで生まれ、17歳までユーティリカで過ごしました。

ユーティカという街は、電機メーカー大手「ジェネラルエレクトリック」がラジオの生産拠点を置いたことで「世界のラジオの首都」と呼ばれ、とても活気があった街でした。しかし1960年代に入ると、「ジェネラルエレクトリック」が中東に拠点を移しました。ユーティカの産業は瞬く間に衰退していき「神に忘れられた街」と言われるようになりました。

リチャードが暮らしていた家の周囲は、墓地と森に囲まれていました。友人と遊ぶときにはいつも墓地を横切って近道をしたり、ずっと墓地で遊んだりしていたと語っているように、幼少期から古びた農家や墓地、教会を好んでいたようです。リチャード自身は、自分はクリスチャンではないと明言しています。十字架(クロス)モチーフが「クロムハーツ」のデザインに多く採用されているのは、リチャードの幼少期の体験が影響を与えているのかもしれません。

1970年代~

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リチャードは高校を卒業した後、ニューヨークの田舎でヒッピー的な生活を送ります。1978年にカルフォルニア州に移り住んだ後は塗装業で働きながら、建築関係の学校へ通いました。

その後、木工職人に弟子入りをしたリチャードは、家具の製造や建築など、木材を扱う仕事をしていました。器用だったリチャードは、一軒の家の中にある全ての家具を作ることもあったといいます。その技術は、今でもクロムハーツの作品に影響を与え、木を扱う家具などは、自ら手掛けることもあるようです。

1980年代 クロムハーツ創業

1980年代 クロムハーツ創業 画像

リチャードは、木工職人の父親が経営する革の輸入会社でも働くようになると、愛車のハーレーダビッドソンで全米を走り回り営業をしていました。そのころ同業者のジョン・バウマンと出会い、意気投合。共同で事業をスタートしました。既存のバイク用ファッションに満足できなかったリチャードは、自分たちが身に着けたいと思うファッションを作りたいと思うようになり、やがて、彫金職人であったレナード・カムホートを巻き込み、格的にバイク用ファッションをスタートさせました。

1988年にマリブのサーファーであったローリー・リン・スタークと出会って結婚。さらに、その年にクロムハーツを設立しました。こうして偉大なるシルバーアクセサリーブランド「クロムハーツ」はアメリカ西海岸ロスアンゼルスでスタートしました。クロムハーツの名前の由来は、「錆びないハート」「揺るぎない鉄のような心」など諸説あるようですが、リチャードは「特に意味はない。響きがクールでかっこいいから付けたんだ」と話しているそうです。

1989年には、リチャードの友人が映画監督をしていたことがきっかけで、映画「チョッパー・チップス・イン・ゾンビー・タウン」の衣装を手がけることとなります。ひと際目を引いたデザインのクロムハーツは、ハリウッドセレブの注目を集めることになりました。

1990年代~

1990年代~ 画像

1990年に日本初の正規取扱店として岩手県盛岡市にあるこのセレクトショップ「インテレクチュアルギャラリー」が取り扱いを開始。クロムハーツのラインナップは当時、ニューヨーク店に継ぎ世界第2位でした。「クロムハーツの聖地」として広く知られ、多くの芸能人も頻繁に通っていました。

翌年の1991年には、コムデギャルソンの青山でクロムハーツが正規に取り扱いを開始。1992年には、セレクトショップの大手「ユナイテッドアローズ」が正式に取り扱いを開始しました。同じ年、アメリカ・ファッション・デザイナーズ協会(CFDA)アクセサリー部門最優秀賞を創業からわずか4年で受賞しました。

1994年にはハリウッドにクロムハーツの本社を設立。1996年にはニューヨークに直営ショップ第1号「CHROME HEARTS N.Y.C」をオープンすると、1997年にはクロムハーツのオンリーショップ「UTICA」をユナイテッドアローズ 原宿本店前にオープン。1999年に南青山に直営店第2号となる「CHROME HEARTS TOKYO」がオープンします。

創業メンバーの一人であるレナード・カムホートが1995年に脱退し、ロサンゼルスで「LEONARD KAMHOUT.INC.」を設立します。

2000年代

2000年代 画像

2000年には直営店第3号「CHROME HEARTS L.A」をオープンさせると、大阪、福岡、神戸などの日本をはじめ、香港、パリ、ロンドン、台北など次々と店舗数を拡大していき、高級シルバーブランドとしてどんどん成長していきました。

一方、脱退したレナード・カムホートは、2000年に経営する「LEONARD KAMHOUT.INC.」を「L-ONE」に社名を変更します。現在は、クロムハーツと肩を並べるシルバーブランドに成長しました。

2010年代~

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2010年 は「CHROME HEARTS GINZA」、2011年は「CHROME HEARTS KOBE」、2012年は「CHROME HEARTS ISETAN SHINJUKU」をオープンするなどクロムハーツの事業拡大が続きます。そんな中、2012年には日本初の正規代理店「インテレクチュアルギャラリー」がクロムハーツの取扱いを終了します。その後2016年に、日本国内で唯一の正規代理店だった「ユナイテッドアローズ」もクロムハーツとライセンス契約を終了しました。

まとめ

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バイカー向けの革製品としてスタートしたクロムハーツですので商品に使われているレザーの品質は最高で使い込むほどに味が出ます。また、クロムハーツの商品は手作りで制作しているため出荷数は少なく手に入りにくいのが現状です。そのため市場価値は非常に高く、絶大なシルバーアクセサリーブランドとしての地位を確立しています。

国内で唯一の正規代理店だったユナイテッドアローズのライセンス契約は2016年9月末に契約期間を終了していますが、現在は、クロムハーツ事業に関連する権利義務を、簡易吸収分割の方法により、クロムハーツ社とユナイテッドアローズが新たに設立する「CHROME HEARTS JP合同会社(CH新会社)」に対して承継しました。その後、CH新会社の持分の全てをただちに譲渡するのではなく2024年12月までの間に複数回に分けて譲渡しています。CH新会社へ譲渡が完了する間、ユナイテッドアローズはCH Holding CompanyとともにCH新会社を合弁事業として運営しています。

今後はユナイテッドアローズが日本での販売や運営などをサポートしながら、アローズでクロムハーツを販売していく方針のようです。これからの事業展開に期待したいところです。

画像引用:クロムハーツInstagram、ユナイテッドアローズ公式サイト

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